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ソフトテニス界の放浪詩人アゴイ!のブログです。
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長兄の思い出
(体操選手)
 昭和34年6月、今からなんと48年前である。
 私は福岡県久留米市の久留米商業高校の体育館のすみに父とともに座っていた。

 その場では、インターハイ体操の福岡県代表を決める選考会が、開かれていた。

 当時、応援団とてなく、まして親が応援に来るなど田舎ではあり得ず、我々は場違いなところに来たような気がしていた。

 9歳年上の長兄は大牟田市にある三池農業高校体操部の選手だった。

 選手と審査員とわずかな応援の部員だけの大会。父は長兄の姿を見たかったのだろう。私はそのダシという意味もあったのか。
 あの日はどうやってあの高校へたどり着いたのだろうか。

(長兄の晴れ姿)
 兄が吊り輪演技で十字懸垂をする姿が目に焼き付いている。見事な筋肉隆々の高校生だった。
 
(正月の練習)
 その半年前の正月4日、8歳の私は兄の自転車の幼児の乗るかごに乗せられ、兄と二人だけで、峠道を越える通学路を走り、練習を見るために連れて行ってもらった。
 リーダーらしき人の言葉を忘れることは出来ない。
 「今日は4人か、(少ないので)残念だなあ。」
 「○○君(兄の名)、今日は弟さんを連れてきているようだから、帰りに市街に出て映画でも観るのか?」

 4人の高校生に大人の雰囲気を強く感じたのは言うまでもない。
 確か指導の先生は来ていなかった。

 この、風景はその後の自分のソフトテニスに向かう原点になったような気がする。遊び盛りの年齢、そしてふわふわした正月の雰囲気を取り払って、自分たちだけで、厳しい声をかけ合いながら、数時間の練習をする兄たちの姿。 

(コートを作ってやるぞ!)
 福岡県大会は兄は予選落ちに終わった。

 それから、8年後、私はソフトテニスでインターハイの個人戦出場権をえたことを、すでに農業を継いでいた兄に報告すると、飛び上がらんばかりに喜び、
「おい、コートを作ってやる。広さはどのくらいいるのか。」

 爆発するように私に言ってくれた。

 今、思えば無理してでも作ってもらえばよかったと、後悔している。

 自分がかなわなかったインハイ参加の夢を弟が成し遂げ、自分のことのように喜ぶ一人の青年。兄は一人のスポーツマンとして無名だが、スポーツの世界の片隅に、このような出来事は無数にあるのではないか。

 兄に「おい、テニスコートをつくってやるぞ。」と言われ、とまどう私。鮮明な風景としていまだに忘れえない。

 9年前、兄は58歳で心臓疾患で若くして死亡。父もその後4年目に94歳で死亡した。

(人間いつか死ぬ,だからこそ、、、)
 07年5月7日、義父(84歳)が死去。妹夫婦と協力し合って、仮通夜、通夜、葬儀とこなした。義父の人生もまた、兄のような熱と情に満ちたものであった。

 私もわずかでも、誰かの記憶に残るよき人生をおくりたい。
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【2007/05/10 22:44】 | アゴイの少年時代 | トラックバック(0) | コメント(7)
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コメント
私の父は47歳になって一週間後、突然の脳出血で他界しました。
42歳で未亡人になり、4人の子供を残された母は気が狂わんばかりでした。
そんな時、一番下の弟は小学5年生で学校の少年野球の試合があると言うので、 母の気を紛らわそうと応援に連れて行った事がありました。今から30年も前の事 親が応援に行く時代ではなかったので アゴイ!さんのブログを読みながら思い出し、涙が出ました。
そして、弟は高校に入り、ボートでインターハイ・国体に出場し、母の生きる力になったように思います。今思うと母を国体などに行かせてやればよかったなと後悔しています。
私は息子の追っかけで全国に行けて幸せですから…
スポーツって 本当に人の心を癒してくれますね。
【2007/05/11 15:42】 URL | eri #-[ 編集]
コメントありがとうございます。
 
 手段があり、時間的余裕があれば、親が子どもの栄光と、また挫折をも、そのそばにいたいと思うのは自然のことでしょう。

 子離れできないとか、逆に甘えているとか、と言う評価はまちがいでしょう。

 子どものプレーの中に自分の姿を見て、ほほえみ、違うものを見て、うーんやるなあ!とか、もう自分を越えていると一抹の寂しさを感じるというのが、追っかけの醍醐味でしょうか。

 親にとって、自分への癒しになっている、自分再発見の場になっているとも言えますね。

 この兄は42歳の時、脳血栓で一時危篤と言われました。子どもは4人。一番上が高校生。
 半身不随(発声機能不全、両下肢マヒ)ながら生き残り、16年自宅で療養し、子どもの成長を身近で見守り、2人が結婚。16年生きていてくれて、子どもの支えとなり、私どもは、生きて存在するということだけで、これほどありがたい、と真から思ったものでした。
 ずいぶん兄と筆談をしました。

 母上様がご存命なら、大事にされてください。 
【2007/05/12 19:18】 URL | アゴイ! #-[ 編集]
御義父様見送られたんですね。
きっと御義父様も皆さんと過ごされた時間喜んでおられたと思いますよ。

良いお兄様をお持ちでしたね。アゴイさんの事を自分の事のように、喜んでくれるなんて素敵で優しいお兄さんだったんですね。私自身に兄弟はありませんので、兄弟の関係と言うのは分からないんですが、義母の兄弟を見ていると何かあるとすぐに飛んでくるこれが兄弟の絆なんだな!と思うことがあります。
【2007/05/14 08:22】 URL | じゃじゃ #/c2.ISBc[ 編集]
御義父様のご冥福を心からお祈り申し上げます。
以前のブログで御義父様の具合をお聞きして、気になっておりました。

>(人間いつか死ぬ,だからこそ、、、)
肝に銘じました。
【2007/05/15 23:08】 URL | ハスボン #-[ 編集]
じゃじゃさん、ハスボンさん、コメントありがとうございます。

 歳を取っても、兄弟仲良くあるというのは、いいものですが、それぞれ家庭を持てば、ほどよい距離も必要で、少々の努力と気遣いも必要となります。
 
 私には弟がいます。高校でソフトテニスを始め、ソフトテニスの縁で結婚。残念ながら今は野球指導で明け暮れているようです。調布市在住。
 
 次兄は隣の大邸宅?(文化財みたいな家)
に住み。すでに仕事リタイヤ。農作業と山の手入れと私の家の世話に追われています。

 姉がいて、横浜洋光台在住。 特技囲碁、女流アマ囲碁の神奈川県NO1だそうです。 
 
 8名うまれて、3名が幼くして亡くなり(私の記憶にはありません)、さらに長兄が亡くなり、現在4名。

 父母達の世代はすごいと言えばすごい。

 人間、いつか死ぬという陰影を持って、いさぎよく、陽気に過ごす。
 
 これが私の人生の大目標です。
 実はなかなか難しい(笑)。 

 
【2007/05/16 07:06】 URL | アゴイ! #-[ 編集]
アゴイ!さん、こんばんは。

お兄様の想い出読ませていただきました
コート作ってもらったらよかったですね!おそらくお兄様は本当に作りたかったんでしょう。私にも9歳離れた弟がいます。私の場合ほとんど強制的にテニスをさせました。『俺にはオヤジが二人いる』というほど、弟にとって厳しい兄だったです。社会人になってしばらくはソフトテニスを続けていましたが、『俺はホントは格闘技がしたかった』とその後空手に打ち込みました。
悪い兄貴です(汗)
【2007/05/16 23:24】 URL | クッキーの父 #-[ 編集]
前のレスに出てくる、4つ違いの私の弟と同じですね。
 中学で野球をやっていたことから、その息子の応援を兼ねて監督まで引き受けています。

 その息子、再来年の春、熊本に高校野球留学させたいとか。別にすごい才能があるというわけではなく、弟は単に「可愛い子どもに旅をさせる。」という目的らしいです。

 もちろん、宿と世話は引き受けていますが。
さて、向こうは子離れ、親離れできるか(笑)?
【2007/05/17 01:03】 URL | アゴイ! #-[ 編集]
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